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2005年11月27日 (日)

忘年会

511511ちょっと早いネットの女性仲間7人と可愛い人1人との忘年会を修善寺で行った。
横浜でお二人の仲間と待ち合わせして、修善寺へ出かけたのは土曜日。
この日は近くの金冠山へショートハイキング。
山頂からはぼんやり富士山が見えていた。
咲き残りのマツムシソウ、リンドウ等も見られて気持ちの良い歩きが出来た。

夜は、鍋料理、よく食べて、良く喋って楽しい夜は更けるのでした(^.^)

27日は、修善寺自然公園もみじ林を散策。
私の故郷である伊豆もこんなに紅葉が奇麗だったのかと、故郷再発見です。
きっと若い頃は、自然とか、季節の移ろいには鈍感だったのかも知れません。

2005年11月24日 (木)

魚沼産コシヒカリ

昨日、魚沼産コシヒカリを3キロ貰った。
今日は早速炊いてみました。
下の娘は、ご飯好き、子供の頃は、白いご飯さえ有れば良いと言う子で、いつも、おかずも食べなさいと言われていた。
一番美味しい物はと聞かれると、お醤油ご飯、炊きたてのご飯にお醤油をたらしただけの物を言う。
母は、その都度がくっとしていた。
茶碗にご飯粒一つ残しても煩い、奇麗に食べない友人の事を密かに怒っていた。
まるで、米穀協会から賞状でも届きそうな入れ込み方だ。
そんな娘が一番反応した。
お米だけで、何もいらないと・・でも、しっかりおかずも食べてましたけど・・
どう違うのだろう、何時もは千葉産、それも近くの専用農家の作ったミルキークィーンと言うお米を食べている。
こちらも美味しいお米で、私は気に入っている。
食べた時にほのかな甘みを感じるお米を食べて、日本人はお米よね〜っと家族で秋の幸せを噛み締めた。

2005年11月22日 (火)

長者ケ岳

ciyoja1ciyoja2ciyoja33日目は田貫湖畔からの長者ケ岳に登る。
1日目の富士見山の急登が応えて筋肉痛。
何となく登りが辛い、歩いていると汗が吹き出て来る。
寒さ対策でフリースのシャツしか持って来なかったのが不覚。
木の間越しに富士山が見えている。
眼下には田貫湖、朝の宿では、テラスにカメラマンが日の出を待ってずらりと並んでいた。
生憎雲に覆われて全容は見せて貰えない様子だった。
山頂では、時々雲が切れて大沢崩れがくっきり見える。
富士山五合目を横に歩く御中道で大沢崩れ迄行った時、絶え間なく落ちている小石等を見ていると、このままでは富士山は半分に割れてしまうのでは思った事を思い出す。
山頂ではすっかり汗も引いて、上着を着ないと寒い。
木々も葉を落として、こちらは晩秋。
様々な秋を楽しんだ旅でした。

大柳川渓谷

yana1yana2yana3yana4yana5yana6富士見山へ登った翌日は、宿の近くの大柳川渓谷を歩く事にする。
この辺りは山梨県南巨摩群鰍沢町十谷。
渓流公園に車を置いて出発。
入り口の真っ赤なカエデがこれからの道の紅葉の美しさを期待させている。
川沿いの遊歩道を幾つかの橋を渡って徐々に高度を上げて行く。
途中にはロープが有る所や、高度感の有る所等中々変化に富んでいる。
ゆっくり歩いて4時間も掛けて楽しんだ。
秋たけなわの一日だった。

富士見山

fujimi1fujimi2fujimi3山梨県の富士見山(1640m)へ登る。
急な登りが山頂迄続き、帰りには太ももが痛い。
そんな山でした。
山頂では、毛無山の後ろに富士山が見える。
反対側には南アルプスの山々の頂が白く見える。
山は、紅葉で奇麗、秋山満喫です。

2005年11月15日 (火)

灯油

511友人からの情報で、ホームセンターで灯油が安いと言う。
丁度そのホームセンターへ買い物も有ったので出かけた。
18リットル990円と書いて有る。
家の近くを巡回している車は1450円と言ってたし、この差はもう選択の余地無しでしょう。
早速灯油ポリタンクの受け皿を買い、家に戻る。
2缶持ってホームセンターへ行くと、先にチケットを買う様になっている。その間にポリタンクを渡す。
チケットを渡すと、すぐに給油して呉れる。
給油が終わると、台車に乗せて呉れるのでそのまま車迄行く事が出来て、終わり。
油がこぼれない様に慎重に運転して帰る。
物価が上がると庶民はこうして防衛するんだな。
最近は、車のガソリンもセルフで入れてるし、段々人の手を煩わせないでと言う事になって行くのか。
これで、安心して部屋を暖かくする。
猫も喜ぶ(^^)


2005年11月13日 (日)

小春日和

小春日和の一日だった。

夕飯の支度を始めるのは大体夕方の5時頃から、今の季節は外も暗いし、少し物寂しい。
それも有って、何か音楽を聴いている。
CDだとすぐ終わってしまうので、取り替えが面倒。
MP3にして好きな曲だけを入れた物を流していると、夕飯の支度だけの時間なので、1枚で何日でも聞く事が出来る。
今日は、大好きな山下達郎が掛かった、気分良く、スキップしながらお皿を取りに食器棚に行く途中、何か目線を感じる。
何時に無く厳しい目をした猫と目が合った。
「かぁちゃんは・・何よ」と言いたい目だ。
この子は、私が行く部屋に付いて来て、まるで監視しているのかと思う、いやいや慕われているのです(^^)
夕飯は、グランマと二人で6時から頂きます。
猫の好みそうな食事の時は、ちゃんと食堂の椅子に座って、じっと私たちの動きを見る猫も、今日は別のソファに寝ていて、こちらには関心も示しません。
「フン!焼き魚じゃ無いんだ」と思っているのでしょう。
猫にも魚好きと肉好きと有るのでしょうか、それとも外国種の猫と日本猫の好みが有るのでしょうか。
家の猫は肉は好みません。
友人の家の猫は洋猫で肉が好きと言います。
そんな訳で、時々おやつに食べるのは、舌平目とマグロなんて言うフレークになった物だったりします。
私たちが子供の頃に飼っていた猫は、ネコマンマだったのになぁ〜贅沢な物よ。
でも、暖かなご飯に削りたての鰹節を掛けた醤油味のネコマンマは美味しかった。

2005年11月10日 (木)

晴れ晴れ

511今日は一日晴れ。
久しぶりにウォーキングへ行く。
友人は、鳥インフルエンザの心配をして、何時も歩く、鴨池のコースを敬遠する。
しばらく行かないと、コスモスは終わりになり、新しい花を入れる準備をしている。
菜の花が育っている中に、ひまわりのこぼれ種から成長して咲いている何本かが有る。
一気に寒くなったら駄目になるだろう。
これも暖冬のせいかな。

昨日のドライブの途中にいつも気になるイチョウが少し色づいていた。
もっと黄色になると見事なんだけどと思いながら写真を撮った。

2005年11月 9日 (水)

粟又の滝

511仕事の休みの娘と、養老渓谷方面へドライブに行く。
紅葉はまだで、見頃は2週間は先になるのかな。
粟又の滝へ行く。
この養老川沿いに遊歩道が有る。
先日の雨の影響か、滝は水量が多い、水も濁っていた。
久しぶりにのんびり歩いて、娘共々気持ちが良かった。

今迄は、私の車で、私の運転だったが、最近娘は自分で車を買った。
それは、学生時代からの夢で、社会人になり、一定の安定した収入が得られる様になったら欲しい物が車だった。
彼女の収入では、希望通りの大きな車は無理でも、1000ccクラスなら手に入れる事が出来た。
コンパクトながら、中は女性好みの仕様で乗り心地も良い。
今回のドライブも娘の運転で行く。
何と楽な事か、これからも頼もう〜(^^)


2005年11月 8日 (火)

東大研究博物館

511ネットの知り合いの情報で、東大研究博物館へディオニュソスとペプロフォロスの展示見学へ出かけた。
この展示会にやはりネットの知り合いのぴとこさんも行くと言うので、ご一緒する事になった。
お会いするのは初めてですが、日頃のブログでの書き込みから、素敵な方と思っていたので、楽しみに出かけた。

この展示会は、東大の様々な分野の方達による発掘調査の途中で見つけられた大理石の2体の像の展示です。
イタリアのポンペイとはヴェスヴィオ山を間に挟んで、北麓の位置に有るソンマヴェスヴィアーナの遺跡です。
発掘時の研究者の喜びが伝わる書き込みを見ると、感動がこちらにも伝わりどんな様子で有ったかと想像するだけでどきどきした。
今回、万博に展示されていたものが、イタリアへ帰る前に東大総合研究博物館に11月13日まで特別展示されている。
この展示は無料です。

本郷3丁目駅での待ち合わせ、お互いすぐ分かりました(^^)
初めてと言う気がせず、すぐに打ち解けて、お話ししながら東大の赤門をくぐります。
今迄、東大の前は通った事は有りましたが、中へ入るのは初めて、建物の古い所に歴史を感じさせます。
真っ先に目的の展示をじっくり見て、帰りにウニの分類やアンモナイト等の展示を見てから、三四郎池に向かいました。
今日は、仕事が休みの娘のお昼に魚雷サンドを作ったので、お昼にと持って来ました。
三四郎池のベンチに座って、お昼に魚雷サンドを食べながら、色々なお喋りをして止まる所を知らないのがネット仲間です(^^)
風も涼しくなったので、そぞろ歩きしながら秋めいて来た構内を後にして、お茶を飲んで楽しい1日は終わりです。


2005年11月 5日 (土)

別れ

511義兄が亡くなった。
ずっと元気な人だったのが、昨年食道ガンになり、放射線治療その他の治療で一時はすっかり元気になっていた。
私たちは、夫と同じ病なのに、その治療の成果に医学の進歩の著しい事に驚いていた。
しかし、この9月頃から思わしく無い状態が続き、京都へ旅行に行く時と言う口実で10月18日に見舞いに行く事が出来た。
その時、多分これが最後になると悲しい覚悟はしていた。
義兄は、厳格な両親に育てられた5人の兄弟の長男として要の様な存在だった。
兄弟同士は仲が良くて、集まりの有る時は常に楽しいもので、明るい事が大好きで、私たちも、そんな機会を楽しみにしていた。
私にとって忘れられない事は、夫の病気の時に度々見舞いに来て、ある時見舞いのお金を渡された時の事。
大阪に住み,仕事も忙しい兄に、来て貰うだけで良いのにと固辞する私に、「兄には甘えるものだ」と言った事、張りつめていた気持ちが一瞬緩んで涙が止まらなかった。
娘の結婚式にも父親代わりの様に気配りをして呉れて、娘婿も葬儀には、仲良く暮らしていますと墓前に報告するのだと参列した。

義兄は子供のときから頭の良い人で、夫等は、中学に入学したら、○○の弟かと言われ、常に比較されて嫌だったと言う。
大手電機メーカーの技術研究に携わり、退職後も自分の趣味だと言いながら、頼まれた会社の開発の仕事に協力していた。
夏にはNHKの街角情報で、義兄の開発した物の一つで有るベストが紹介されていた。
まだやり残した仕事も有っただろうと思う。
しかし、二人の子供たちが残された義姉の事を優しくサポートする姿や、葬儀での立派な挨拶をするのを見て、少しは安心しているのではと思った。
私たちは、まだまだ元気で、楽しい時間を持ちたかった。








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